ばかを愛して

焔 / 早川さざみさん
※ ネームレス作品です。

恐らく、この星は、誰と見ても同じくらいの量で光を放つのだろう。
そんなことを考えながら、私はぼんやりと空を見上げている。
すぐ近くから「もう帰ろうぜ」という声が聞こえる。
「まあまあ、そういわずに」
そういって声の主の腕をつかむ。
最初の数秒こそ、無理やりにでも引きずって帰ろうと奮闘していたが、少しずつ動きを止めた。
諦めがついたのか、それとも、私と同じよう、この星の輝きに心を奪われたのか。
「綺麗だよね」
「……」
おや、返事がない、と、焔の顔を見る。
「……なんだ、その目は」
ひどく面倒くさげな眼で私を見つめている。
「……まさか、お前のほうが綺麗だぜ、とか言ってもらいたいワケじゃ」
「そ、そんなわけないだろ!」
そう訂正するが、やはりどこかうさん臭げな眼をやめようとしない。
私はそんな、外の国の言葉で言うところのろまんちすとというモノではない。
だから、この星の名前がなんだろうがどうだっていいし、多分一人で見てもこの星は綺麗だ。
いや、それってつまるところ裏を返すと、焔とみるからキレイなんだよ、と、言っているようなものなのだろうか?
「何一人で顔赤くしてんだよ」
「赤くしてない!」
「バーカ、こんな暗くてわかるワケねえだろ」
「バカとはなんだ、バカとは!いくら言ってもわからんヤツだな、私のほうが年上なんだぞ!」
だから何だ、という話なのだが。
時折、焔は私のことを年下のように扱う時がある。
10年という時を正しく生きようが、通り抜けようが、私のほうが年上なのに、だ。
「なあ、もう帰ろうぜ。夜の出歩きはさすがに危ねえって」
「なんだ?心配してくれてるのか」
「テメェの身のな」
確かに、そろそろ雲がかかってきた。そしてどこからか不穏な鳴き声も聞こえる。
「……不本意だが、戻ろうか」
「おう、そうしろ、そうしろ」
ずっとつかんだままだった焔の腕を離す。
すると今度は、焔の手が私の手を掴んだ。
「手は掴んでいただかなくて結構だぞ」
「こうでもしなきゃまたどっか行くだろ」
「私は子供か!」
「星が見たいって夜中に人を叩き起こすヤツがガキじゃなくて誰がガキなんだよ!」
「そ、それは、申し訳ない……。でも、その、ちょっと外に出たら空が綺麗に晴れていて……」
「夜中にふと外に出るっていったいどういう生活してんだ」
声音でわかる、またウンザリされている。
でも、ウンザリしているような態度を取るだけで、普通に接してくれる。
自分が背負った事情とか、そういうものをチャラにして、普通に接してくれる数少ない人でもある。
だから私は彼を気に入っている。
言葉も減ると、ただただ地面を踏みしめる音だけが二つ、暗闇に消えていく。
実はな、と、言葉をつづける。
「もう少し、里がどうにかなったら、旅にでも出ようかと思っているんだ」
「はあ?」
「いや、別に深い理由はないよ。里の外を見て回ろうと思ってな」
今を生きる、為には、あの里にいるだけでは駄目だ。というのは、私の独りよがりで身勝手な見解だ。
確か、初穂という娘も、そんな理由で九葉殿に付いて歩いているとかなんとか。
つまり、過去がない分、私は今で精いっぱい自分を満たさねばならない。
と、やはり独りよがりに思う訳だ。
「やめとけ」
「何故」
「このご時世、旅なんてやめた方がいいぜ、ロクな目に合わねぇ」
「盗みに入った里のすごく強いお姉さんにボコボコにされて、モノノフとして働かされるからか?」
「昔のダチが鬼に喰われて、ひどい目に合うかもしれねえしな」
「それは怖いな、やはり、里を出るのは諦めよう」
そういって笑う、笑い事ではないのだが。
「……で、その本意は?」
「寂しがるヤツがいるだろ」
「そこに焔は含まれてる?」
「さあな」
そっけない言葉だ。
かといって、何処にもいかないでくれ、なんて、真面目な対応をされたところで、どう対処していいのか、どう返答すればいいのか知らない。
「……マジで、もうどこにも行かねえんだな?」
それは珍しく、消え入るような寂し気な声だった。
「ハ?そのために私の手をつかんでいるんだろ?どこにも行きようがないぞ」
「そっちじゃねえ!」
じゃあ、なんの話をしているのだろうか。ああ、アレか。
「大丈夫だ、って、博士が言ってたから、多分大丈夫だ」
「……」
「私から自発的に何処かに姿を消さない限りな」
「……」
「お、もしかして、本当に私がいなくなると寂しいか?」
「……」
恐らく、焔はとてつもなく険しい顔をしているだろう。
と、いっても私の先を先導して歩いているから背中しか見えないし、振り返ってもこの闇の中では、とても近づいたところでわからないだろう。
「いやあ、年上冥利に尽きるというものだな。これからも大いに寂しがってくれて構わないぞ」
「テメェがいなくなったら里はどうなるんだよ」
釘を刺すような強い説得力を持った言葉だ。それがただの正論だろうが、もしかしての照れ隠しだとしても。
「どうにでもなるだろう。みんな強い」
「……そういう問題じゃねえだろ」
「やっぱり寂しいんだ」
「俺らの仕事がこれ以上増えるのはゴメンだって言ってんだよ」
「普段からさぼってるくせに、よく言うよ」
「でも仕事量は増えるだろ」
だからいなくなるんじゃねえよ、と言ったっきり、また会話は途切れてしまった。
門に掲げられた提灯の明かりもだんだんと近づいてくる。
流石にこんな夜更けとあって、物音ひとつしない。
本部も、その通りも、しんと静まり返っている。
「……いつまで掴んでんだよ」
そういわれて、ふと自分の手元を見る。焔の手はとっくに私の手を拘束することをやめていた。
「ああ、すまんな」
手を放すと、手のひらが名残惜しそうにじんわりと冷えた。
「じゃあ、今日はありがとう。」
「……」
「なんだ、その、夜明けまでそう時間はないだろうけれど、ゆっくり休んでくれ」
「……」
この期に及んで焔は無言を貫いている。
怒らせたな、起きたら朝餉くらいは奢ってやろう。そんなモンで機嫌が直ってくれればよいのだが。
「それじゃあ、おやすみ」
そういって家に入ろうとすると、突然腕をつかまれた。
「なんのつもりだ寂しんぼう」
振り返り、そう言い終わるよりも早く、焔の顔が近づいてくる。
目を閉じる暇もなかった。
言葉もない、言葉が出せない、すごく近くで焔のにおいがする。
「……お天道様が昇っても、ちゃんとここに居ろよ」
やっと離れた焔の口から、そんな言葉がこぼれた。
「……いる、絶対いる、っていうか、焔、怒ってる?」
顔を赤くしながら、しどろもどろにそう答え、そう問いかける。
「怒ってたらんなことしねぇよタコ」
そういうと、私の頭をぐしゃぐしゃと一通り撫で、「んじゃ」とだけ言って自分の寝床へと戻っていく。
寝、寝れないじゃあないか……。
まだ赤い顔を空に向け、そのあかりを仰ぐ。
綺麗だ、一人になって見ても綺麗だ。
余韻のおかげか、さっきより余計まぶしく思える。
のぼせた頬を冷やそうと、どこからともなく一つだけ風が吹いた。